ポケットモンスターシリーズ製作者 まとめ

 

ポケットモンスター赤・緑が発売されるまで6年以上かかった

ポケットモンスターのもとになったゲームを任天堂に持ち込んでから、世に出るまでかかった時間になります。この間ずっと開発していたわけでもないそうですが、苦労の末生まれた作品で、世に出た時もすぐに売れたわけではなく口コミで人気が広がっていきました。その結果国内だけでも売上本数が822万本にまでのぼりました。


ポケットモンスターの生みの親「田尻 智(たじり さとし)」

最初の紹介は何といっても「ポケットモンスター」の生みの親で知られる田尻 智さん現在は株式会社ゲームフリーク代表取締役

東京都に生まれ、当時まだ自然が残っていた町で昆虫をはじめとした生物の観察や採集を楽しんでいました。クラスで一番の昆虫博士だった経験が「ポケットモンスター」を作るうえで大きな力になったとかたっています。ソフトをバージョン違い(赤・緑)で出した際も虫タイプのポケモンが片方にしかでない(ストライクとカイロス)仕様になっていたりと虫を好きなことがうかがえます。

 東京工業高等専門学校在学中にゲーム攻略誌「ゲームフリーク」を1人で執筆。当時漫画家を目指していた杉森健も読者の一人でありすぐに田尻さんに手紙を送り、のちに共にゲーム制作に関わるようになります。

その後、ゲームフリークの仲間と共に、初の本格的なゲームとなる「クインティ」を制作。ハードウェアから自作したロムカセットを直接ナムコに持ち込むという前代未聞の売り込みを行った「クインティ」は20万本以上を売り上げました。

1989年、クインティの印税約5000万円を資本金に、株式会社ゲームフリークを設立。

ポケットモンスター金・銀」の発売を最後にゲーム開発の現場からは一歩引き、経営に専念しています。

アニメの「ポケットモンスター」の主人公である「サトシ」は彼の名前から来ていて、ゲーム時の名前候補の一つでもあります。

f:id:shinodiary:20191127174104p:plain田尻さんお気に入りのポケモンニョロモ

石原 恒和(いしはら つねかず)

ゲームプロデューサー・ゲームクリエイター

ポケットモンスター」関連のビジネスを手掛けている中心人物で、現在は株式会社ポケモン代表取締役社長と株式会社クリーチャーズ代表取締役会長。

杉森 健(すぎもり けん)

イラストレーター。

田尻智との親友関係にあり、ミニコミ誌「ゲームフリーク」の発刊にたずさわっていた。株式会社ゲームフリークでは取締役とアートディレクターを務め、多くのキャラクターデザインも手掛けています。

ポケットモンスター』シリーズのキャラクターをデザインし、1作目の「ポケットモンスター赤・緑」以降、すべての作品で公式イラストを手掛けています。

杉森さんの本も発売されています。

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 増田 純一(ますだ じゅんいち)

ゲームクリエイターゲームミュージックの作曲家。

株式会社ゲームフリーク取締役開発部長。株式会社ポケモン取締役。

クインティ」の製作にも携わっています。

ポケットモンスター赤・緑」のすべてのBGMを担当している。昔の音源ソフトの音の数が少ない中製作した。

ポケットモンスタールビー・サファイア」以降はディレクターとして、シナリオやゲームデザインも手掛けています。最近では広報役として各メディアに露出し、「ポケットモンスター」のプロモーション活動を行っています。

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増田さんの曲の中で決戦N!が一番好きです

ゆっくり実況の方が解説して下さっているものがあるので聞いてみてください


天才すぎて意味不明な神曲「決戦!N」を解説【ポケモンBGM】【ゆっくり実況】

宮本 茂(みやもと しげる

任天堂取締役フェロー、ゲームプロデューサー。

スーパーマリオシリーズ」や「ゼルダの伝説」、「ドンキーコングシリーズ」の生みの親として知られています。

田尻さんが尊敬する人として名前をあげています。

アニメの「ポケットモンスター」に登場するサトシのライバルの名前の「シゲル」は彼からつけられていて、「ポケットモンスター赤・緑」にも登場するライバルの名前の候補の一つに「シゲル」がある。